コレクション: Retro Side

レトロって、単なる懐古趣味じゃない。忘れ去られて、埃をかぶって、それでも残ったもの。時代に置いてかれて、それでも「俺はまだここにいる」と言い続けてるものたちの声。俺は、そういうものに弱い。

昭和の看板、90年代の家電、分厚いブラウン管テレビ。全部、最前線からは引退してる。でもあいつらには“生き抜いた感”がある。打ち捨てられてなお輝く、そんなしぶとさがある。スーパーファミコンのリセットボタンの感触、ビデオテープのガチャッという音、電話機のダイヤルをゆっくり回す感覚。今の世の中にはもう必要とされてないけど、だからこそ“余白”がある。

今は何でも早くて、便利で、完璧に近い。でもレトロには“ムダ”がある。いちいち巻き戻したり、読み込みに時間がかかったり。だけど、そのムダの中に、感情が染み込んでいくんだ。手間が記憶を濃くする。アナログって、そういうものだと思う。

昔のポラロイド写真、色褪せたスニーカー、ノイズ混じりのカセットテープ。あれって、ただの古道具じゃなくて“過去の息吹”なんだよな。今じゃ手に入らない不完全さ。完成されすぎた今よりも、そこにある不器用さのほうが、よっぽど愛しい。

レトロはキワに生きてる。時代の主役にはなれなかったけど、誰かの人生の脇役として、確かに存在してた。だから俺はレトロが好きだ。機能じゃなくて、記憶で出来てるものたち。便利じゃないけど、忘れられない。

“古い”って言葉に、敬意を込めたい時代があるんだよ。

Retro Side