FEATURE

  • LOGO

    LOGO

    ロゴは存在証明であり叫び。熱とノイズが宿り、カルチャーを映す旗だと思う。「自分は何者か」を示すために必要なピース。

  • STREET

    STREET

    ストリートは流行やマニュアルを無視して、自分を証明する場所。雑多で不完全だからこそむき出しの魂が宿り、真っ直ぐに響いていた。

  • Retro Side

    Retro Side

    レトロって、単なる懐古趣味じゃない。忘れ去られて、埃をかぶって、それでも残ったもの。時代に置いてかれて、それでも「俺はまだここにいる」と言い続けてるものたちの声。俺は、そういうものに弱い。 昭和の看板、90年代の家電、分厚いブラウン管テレビ。全部、最前線からは引退してる。でもあいつらには“生き抜いた感”がある。打ち捨てられてなお輝く、そんなしぶとさがある。スーパーファミコンのリセットボタンの感触、ビデオテープのガチャッという音、電話機のダイヤルをゆっくり回す感覚。今の世の中にはもう必要とされてないけど、だからこそ“余白”がある。 今は何でも早くて、便利で、完璧に近い。でもレトロには“ムダ”がある。いちいち巻き戻したり、読み込みに時間がかかったり。だけど、そのムダの中に、感情が染み込んでいくんだ。手間が記憶を濃くする。アナログって、そういうものだと思う。 昔のポラロイド写真、色褪せたスニーカー、ノイズ混じりのカセットテープ。あれって、ただの古道具じゃなくて“過去の息吹”なんだよな。今じゃ手に入らない不完全さ。完成されすぎた今よりも、そこにある不器用さのほうが、よっぽど愛しい。 レトロはキワに生きてる。時代の主役にはなれなかったけど、誰かの人生の脇役として、確かに存在してた。だから俺はレトロが好きだ。機能じゃなくて、記憶で出来てるものたち。便利じゃないけど、忘れられない。 “古い”って言葉に、敬意を込めたい時代があるんだよ。

  • MOVIE

    MOVIE

    初恋の失敗から映画にのめり込み、様々な作品に人生を学んだ。映画は時代を切り取り、人生もまた自分が主人公の映画なのだ。

  • ART

    ART

    アートは存在証明であり、雑さにこそ力が宿る。踏まれても咲く雑草のように、“キワ”で生を放つ。

  • Skateboard Side

    Skateboard Side

    スケボーは最初から“キワ”にいた。公園でも、道路でも、駐車場でも。怒鳴られて、排除されて、それでも滑り続けた。俺たちはルールの外側で育った。禁止の看板を背景に、コンクリートの裂け目にデッキを叩きつけた。それが俺たちの“YES”だった。 90年代、原宿のストリートにいた連中は誰も「スポーツ」なんて思ってなかった。スケボーはスタイルだったし、反抗だったし、生き方そのものだった。うまいかどうかより、“ヤバいか”どうかだった。トリックの精度じゃなくて、メンタルと空気感がすべてだった。ヘタでもいい。ヘタなりに、スケートは“俺”を映す鏡だった。 デッキ1枚とアスファルトさえあれば、そこが俺たちのステージになった。街の隅っこで、誰にも認められないまま、でも自分たちだけの美学で動き続けた。それが“端っこ”の強さだった。映像を撮るのも、Tシャツを刷るのも、自分たちの手。DIYは当たり前。自己表現=自活だった。 今のスケートシーンを否定する気はない。オリンピック?いいじゃん。大勢の人が見て、憧れて、始めてくれるならそれもアリだ。でも、俺が惹かれるのはやっぱり、“怒られながら滑ってた奴ら”の方だ。誰にも頼らず、街を自分のものにしてた、あのギラついた目。路地裏でコーラ飲みながら、血まみれのスネで語ってた「次、絶対メイクする」って執念。 スケボーは、技術じゃなくて、“諦めない美学”なんだと思う。何度こけても、また立って、笑って、滑る。それって、負け組の哲学そのものじゃないか。メインストリートじゃなくて、あえて“キワ”を滑る。その感覚に、俺は今でも惚れてる。 “キワ”には、音も、カルチャーも、スケートもある。そこには敗北と創造がある。だから面白いんだ。

  • MUSIC

    MUSIC

    音楽は常に“キワ”で存在証明として響き、敗北と誇りが同居する切実さを帯びていた。そこが最も人間らしい場所。

  • LOVE IN THE '90s IS PARANOID!

    LOVE IN THE '90s IS PARANOID!

     90年代、我が国におけるバブル崩壊が始まる混沌とした時代。その一方でジュリアナ東京が芝浦にオープンし、明と暗がはっきりとし始める時代。それは人生における勝ち組と負け組がはっきりと線引きされる時代が始まったということ。俺は断然負け組が好きだ。それは幼少期から始まっている。ガンダムで言ったらカイ・シデン。キャプテン翼で言ったら森崎くんが好きだ。(正確にはどちらも負け組ではないが・・・)敗北者にはカタルシスが生まれる。幼少期の俺がその感情を汲み取っていたのかは定かではないが、齢50を迎える俺は今もヘタレだけが持つ哀愁に心惹かれる。疎外感、劣等感、擦り減る自尊心。ヘタレは常に端っこをメインストリートにしてきた。そしてヘタレのそばには常に音楽とアート、それぞれを救うカルチャーがあった。それは提供する側もまた端っこをメインストリートにしてきたからこその繋がりなのだと思う。(アーティストはこぞってインディーズ、自主制作という無敵の武器を使いそれを表現し続けた。)90年代カルチャーはまさにその端っこのカルチャーが増殖した時代。路地裏がメインストリートになった唯一の時代。端っこが自らのアイデンティティを主張することが許されはじめた時代。 俺は90年代と現代は共通点が多いと思っている。現代に文句があるわけでも、諦めているわけでもない。ただ、あまり面白くないとも思っている。90年代の熱狂から現代へ学ぶべきものがあるのではなかろうか。あの端っこが光輝いた90年代。皆がキワを攻めた時代。端っこ=キワ。 to “KIWA”  

  • MARVEL COLLECTION

    MARVEL COLLECTION

    「MARVEL」 (マーベル) は、80年以上に渡り象徴的なキャラクターと時代を超えて愛される物語で、何百万人ものファンにインスピレーションを与え、マーベル・ユニバースを今日のポップカルチャーの最前線に押し上げました。アイアンマン、スパイダーマン、キャプテン・アメリカ、ソー、そして多くのマーベルのスーパーヒーローたちは、世界中で多くのファンに愛され、映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』は、映画史に残る大ヒット作品となりました。