コレクション
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Art Side
アートはいつも社会の“裏口”から入ってきた。正面玄関じゃない。誰も呼んでないのに、勝手に現れて、勝手に居座って、いつのまにか空気を変えてる。それがアートの本質だと思う。 90年代。ギャラリーなんかに縁のない奴らが、路地の壁にスプレー缶で自分を描いた。グラフィティ。誰に許されたわけでもないのに、その線には命が宿ってた。アートって何?って聞かれたら、「自分の存在証明だよ」って答えたくなる。それは描く側にも、観る側にも言えること。 売れるためでも、評価されるためでもなく、「ここにいた」という爪痕を残すためのもの。アートってそういうものだった。真ん中じゃなくて、隅っこから滲み出る感情がキャンバスを濡らす。自分のことを“凡人”と思ってる奴が、孤独と劣等感を絵の具に変える。それが一番強い。 あの頃のストリートカルチャーには、息苦しい社会に抗う美学があった。アートは反発だったし、告白だったし、時に叫びだった。「こうあるべき」に対する「うるせえよ」が、すべての作品に刻まれてた。 今、アートがビジネスになってる。それはそれでいい。でも俺は、誰にも見られなくても描く奴が好きだ。展示されなくても、売れなくても、描き続ける奴が好きだ。そういう奴のアートには、傷跡がある。綺麗じゃない。整理されてない。でもその“雑さ”にしか出せないエネルギーがある。 アートは“完成”しない。“正解”もない。だからこそ、端っこに生きる奴の感情を受け止めてくれる。自分の居場所がどこにもないと感じたとき、筆を取る。それは敗北じゃない。戦い方を選び直すという意思表示だ。 アートとは、社会の“キワ”に咲く雑草みたいなもんだ。踏まれても、抜かれても、気づけばまたそこに生えてる。誰にも管理されず、でも確かに美しい。 “キワ”には、まだ燃えてる心がある。誰にも見えなくても、そこには確かに“生”がある。
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LOVE IN THE '90s IS PARANOID!
90年代、我が国におけるバブル崩壊が始まる混沌とした時代。その一方でジュリアナ東京が芝浦にオープンし、明と暗がはっきりとし始める時代。それは人生における勝ち組と負け組がはっきりと線引きされる時代が始まったということ。俺は断然負け組が好きだ。それは幼少期から始まっている。ガンダムで言ったらカイ・シデン。キャプテン翼で言ったら森崎くんが好きだ。(正確にはどちらも負け組ではないが・・・)敗北者にはカタルシスが生まれる。幼少期の俺がその感情を汲み取っていたのかは定かではないが、齢50を迎える俺は今もヘタレだけが持つ哀愁に心惹かれる。疎外感、劣等感、擦り減る自尊心。ヘタレは常に端っこをメインストリートにしてきた。そしてヘタレのそばには常に音楽とアート、それぞれを救うカルチャーがあった。それは提供する側もまた端っこをメインストリートにしてきたからこその繋がりなのだと思う。(アーティストはこぞってインディーズ、自主制作という無敵の武器を使いそれを表現し続けた。)90年代カルチャーはまさにその端っこのカルチャーが増殖した時代。路地裏がメインストリートになった唯一の時代。端っこが自らのアイデンティティを主張することが許されはじめた時代。 俺は90年代と現代は共通点が多いと思っている。現代に文句があるわけでも、諦めているわけでもない。ただ、あまり面白くないとも思っている。90年代の熱狂から現代へ学ぶべきものがあるのではなかろうか。あの端っこが光輝いた90年代。皆がキワを攻めた時代。端っこ=キワ。 to “KIWA”
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MARVEL COLLECTION
「MARVEL」 (マーベル) は、80年以上に渡り象徴的なキャラクターと時代を超えて愛される物語で、何百万人ものファンにインスピレーションを与え、マーベル・ユニバースを今日のポップカルチャーの最前線に押し上げました。アイアンマン、スパイダーマン、キャプテン・アメリカ、ソー、そして多くのマーベルのスーパーヒーローたちは、世界中で多くのファンに愛され、映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』は、映画史に残る大ヒット作品となりました。
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Music Side
音楽はいつも、時代の“キワ”に生きてきた。90年代、ジュリアナ東京の煌びやかな照明の下でボディコンが舞い踊る一方、下北沢のライブハウスでは汗だくのバンドマンが「人生」を叫んでいた。俺が心惹かれたのは後者だ。グラマラスじゃない、雑多でノイズ混じりの“音”たち。メインストリームに届かない音。でも、それが何より“生”を感じさせた。 あの頃の音楽は、叫びだった。自分の存在を、社会から置いてけぼりにされた若者が証明するための手段だった。CDショップの試聴機、レンタル屋の新譜コーナー、タワレコの手書きポップ。すべてが“発見”だったし、“出会い”だった。音楽はSNSのように手軽ではなかった。だからこそ、偶然が価値だったし、偶然はドラマだった。 あの時代のバンドたちは、誰かに選ばれることを待たなかった。選ばれなければ自分で音を出し、自分でCDを焼いた。インディーズという響きに、誇りと敗北が同居していた。勝ち組には見えなかったけど、彼らの音には確かな「存在証明」が宿っていた。 今の音楽がつまらないとは言わない。クオリティは高いし、届ける手段も広がった。でも、時々思う。あの時代の「キワ」の熱量が、どこかに置き忘れられていないか、と。 端っこにいた奴らが、自分の居場所を音で作っていた90年代。メインストリームになれない、けれど絶対に無視できない、そんな音楽たち。俺は今もそういう音にしか心が動かない。テクニックや再生回数じゃない。“切実さ”のある音。自分をさらけ出すことにしか意味を見出せない音。そういう音楽がまた“端っこ”から響いてくるのを、俺は今も待っている。 キワ。それは、敗北と誇りがせめぎ合う場所。だからこそ、最も人間らしい場所。
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Skateboard Side
スケボーは最初から“キワ”にいた。公園でも、道路でも、駐車場でも。怒鳴られて、排除されて、それでも滑り続けた。俺たちはルールの外側で育った。禁止の看板を背景に、コンクリートの裂け目にデッキを叩きつけた。それが俺たちの“YES”だった。 90年代、原宿のストリートにいた連中は誰も「スポーツ」なんて思ってなかった。スケボーはスタイルだったし、反抗だったし、生き方そのものだった。うまいかどうかより、“ヤバいか”どうかだった。トリックの精度じゃなくて、メンタルと空気感がすべてだった。ヘタでもいい。ヘタなりに、スケートは“俺”を映す鏡だった。 デッキ1枚とアスファルトさえあれば、そこが俺たちのステージになった。街の隅っこで、誰にも認められないまま、でも自分たちだけの美学で動き続けた。それが“端っこ”の強さだった。映像を撮るのも、Tシャツを刷るのも、自分たちの手。DIYは当たり前。自己表現=自活だった。 今のスケートシーンを否定する気はない。オリンピック?いいじゃん。大勢の人が見て、憧れて、始めてくれるならそれもアリだ。でも、俺が惹かれるのはやっぱり、“怒られながら滑ってた奴ら”の方だ。誰にも頼らず、街を自分のものにしてた、あのギラついた目。路地裏でコーラ飲みながら、血まみれのスネで語ってた「次、絶対メイクする」って執念。 スケボーは、技術じゃなくて、“諦めない美学”なんだと思う。何度こけても、また立って、笑って、滑る。それって、負け組の哲学そのものじゃないか。メインストリートじゃなくて、あえて“キワ”を滑る。その感覚に、俺は今でも惚れてる。 “キワ”には、音も、カルチャーも、スケートもある。そこには敗北と創造がある。だから面白いんだ。