コレクション: Skateboard Side
スケボーは最初から“キワ”にいた。公園でも、道路でも、駐車場でも。怒鳴られて、排除されて、それでも滑り続けた。俺たちはルールの外側で育った。禁止の看板を背景に、コンクリートの裂け目にデッキを叩きつけた。それが俺たちの“YES”だった。
90年代、原宿のストリートにいた連中は誰も「スポーツ」なんて思ってなかった。スケボーはスタイルだったし、反抗だったし、生き方そのものだった。うまいかどうかより、“ヤバいか”どうかだった。トリックの精度じゃなくて、メンタルと空気感がすべてだった。ヘタでもいい。ヘタなりに、スケートは“俺”を映す鏡だった。
デッキ1枚とアスファルトさえあれば、そこが俺たちのステージになった。街の隅っこで、誰にも認められないまま、でも自分たちだけの美学で動き続けた。それが“端っこ”の強さだった。映像を撮るのも、Tシャツを刷るのも、自分たちの手。DIYは当たり前。自己表現=自活だった。
今のスケートシーンを否定する気はない。オリンピック?いいじゃん。大勢の人が見て、憧れて、始めてくれるならそれもアリだ。でも、俺が惹かれるのはやっぱり、“怒られながら滑ってた奴ら”の方だ。誰にも頼らず、街を自分のものにしてた、あのギラついた目。路地裏でコーラ飲みながら、血まみれのスネで語ってた「次、絶対メイクする」って執念。
スケボーは、技術じゃなくて、“諦めない美学”なんだと思う。何度こけても、また立って、笑って、滑る。それって、負け組の哲学そのものじゃないか。メインストリートじゃなくて、あえて“キワ”を滑る。その感覚に、俺は今でも惚れてる。
“キワ”には、音も、カルチャーも、スケートもある。そこには敗北と創造がある。だから面白いんだ。
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